- 2011.11.11
- 旧ブログ
NOでなければGO!
先日あるラティーノ男性が同じ職場で働く日本人女性に告白をしました。
告白というとなんとも重いイメージなのですが、
「好きだよ!」というラテン的なキラキラした情熱を感じるメッセージです。
恐らく日本人女性は彼のことを好いてはいなかったのでしょう、
もしかしたら意中の方がいたのかも。
だけど、はっきり「NO」を口にすることはなく、
詳しい経緯はわかりませんが、彼女は彼に電話番号やメールアドレスを教え、
彼は彼女に愛を伝えて・・・恐らくは「ぶつけて」いったのです。
彼女はだんだん彼を疎く思うようになったでしょう。
職場の人に彼の行為を告げ、迷惑している、会社にも居づらい…と
ネガティブな展開になって行きました。
彼にしたら「NO」ではないものは「GO」なわけです。
「NO」でなければ、それは挑戦する権利が失われていないことを示します。
だから言葉を尽くして彼女に愛の表現をしたのではないかと想像できます。
ラティーノの愛情表現は日本人からすると、驚く程ストレートなもので、
それは男女間だけに留まらず、家族や友人に対しての愛情表現もとても豊かなものです。
ですが、日本人からすれば戸惑いから迷惑に気持ちが変化するのも時間の問題で、
「YES」でなければ「NO」なのになんで空気が読めないの?となるのではないでしょうか。
外国人「これ○○していいですか?」
日本人「そうだねぇ…でもねぇ・・・どうかなぁ…」
この場合は「NO」なわけだし、
外国人「○○行きませんか?」
日本人「今度ねぇ…」
この場合も限りなく「NO」に近いです・・・よね?
日本人の私からすると、日本人が戸惑う気持ちはとてもよくわかります。
「NO」と言って相手を不愉快にさせないか、落胆させてしまうのではないか。
でも、はっきり「NO」と言わない中途半端な状態を続けてしまうことの方が
外国人だって戸惑うんですよね。
「NO」でなければ「GO」
「YES」でなければ「NO」
なんだか難しい気もしますが、きっとお互いを思いやったら大丈夫ですよね。
今は何かと世間を騒がす自転車問題も多文化共生もなんだって根っこは同じ、そんな気がしました。
外国人に囲まれた環境だと、「YES」「NO」問題というのは
割と良く感じることなのですが、そういえば石原さんの書いた本はこんな内容だったのでしょうか。
今度読んでみようかな。