株式会社アンサーノックス

2010.12.10
旧ブログ

人権デーにおもうこと

本日、12月10日は「人権デー」だそうです。

人権デーポスター

1週間ほど前から「人権週間」と書かれたバスが走っているのを見かけたり、信玄像の前にのぼりを持った人が集まっているのを見かけたりと、人権週間であることは知っていたのですが、今日がその最終日で、更に「人権デー」であることを恥ずかしながら初めて知りました。せっかくの機会なので自分なりに「人権」について考えてみたいと思います。

40年間の人生を振り返ると、意外と自分自身、また私の周りの人々が多くの「人権問題」に携わっていた事に驚きました。海外で生活した時には外国人として差別的な扱いを受けた記憶もあります。東京でフリーターのような生活をしていた時には現在で言う「ワーキング・プア問題」の当事者でした。周囲にはマイノリティと呼ばれる人も、イメージだけで語られるような難病の人もたくさんいました。今現在、深刻な問題として苦しんでいる人がいる中で不謹慎に思われるかもしれませんが、私自身も周囲の人々も不思議なほど、その中で喜びや楽しみを見付けて、時には開き直って、面白可笑しく生きていました。

そんな生活にピリオドを打ち、山梨に戻り、縁あって Answer KNOCS で仕事を始めた時、大きなショックが自分を襲いました。なぜなら、家族と生きる為、何かを学ぶ為、大袈裟でもなんでもなく今日のご飯を食べる為に仕事をしたいのに、外国人だからという理由だけで職に就けないどころか面接のチャンスすら与えられない人がいるという事実を、その時まで知らなかったからです。

彼らと出会い会話する中で、彼らの職を求める意欲がいかに強いものかを思い知らされました。日系ブラジル人で日本の永住権を持っている人の中には帰る場所を持たない人もいます。出身国の治安状勢を考えると子供のためにも日本での生活を望んでいる人もいます。仕事を選ぶという選択肢を持たず、ただ「生きるため」に働くという当然のようで当然ではない、凄まじいパワーのようなものをひしひしと感じるのです。

それに引き換え、自分はどうだろうと考えた時、「なんとかなるさ」と軽く考え、何度も転職をし、いざとなれば実家に戻れると考え、過ごしてきたことが、本当に恥かしく思えました。それと同時に、面白可笑しく生きてきたと思っていた自分は権利を主張する前に、きちんと人としての義務を果たしていたのか不安になりました。

権利と義務は対等なものだと以前から知識としては知っていました。しかし、心からそうあるべきだと思ったのは初めてのことでした。本当に恥かしいのですが、無駄遣いをしておきながらお金がないからといって税金を滞納したことも多々ありました。むしろ、払いたくないとすら思っていました。

人の権利は守られるべきもので、剥奪されることはあってはならないものです。ただ、与えられて当然のものでもないような気がします。守られるためにも義務を果たすこと、それが大事なことに思えます。(だからこそ血税という言葉があるとも思います)

その義務を果たす為に「はたらく」のを求めている人をサポートすることが、今の自分にとっての「はたらき」であり、義務に思えます。

人として、バイトであっても、派遣であっても、社員であっても、主婦であっても、学生であっても、ボランティアであっても「はたらく」こと。それが人権を守ることにつながる。そう思ってこれからも働こうと思っています。

人権デーにおもうこと。
仁義ではなく人の義務と書いて
「人義」。

大事な事だと思います。

MORI cozy-e